演出家のつぶやき

黒澤世莉WSの頃

CoTiKの代表と演出と脚色とあれもこれもやっている谷です。最近、稽古場日記がずいぶん活発で嬉しい限り。こないだ市民活動センターに行ったら、たまたまそこにいた市役所の某Gさんに「ブログが本当に面白い」と誉めていただきました。書いてくれてるCoTiK参加者の皆様、編集してくれてる松本くん、ありがとう。

たまには自分も少し書こうと思います。近況など。

中間報告-CoTiKの意義

演劇の現場では結果がすべて、他には何もありません。舞台に乗ったものがすべてで、どれだけ努力したとか、どれだけ頑張ったとか、すべて無意味です。本番で、舞台に、いいもんを乗せられなければ、すべては言い訳にしかなりません。んでもって、言い訳ほど聞いて聞き苦しいものはない。結果が出せない奴は舞台を去れ!

が、CoTiKのような活動の場合、結果より経過が大事と思いたい。何も全員がプロの俳優になろうってんじゃないんだから、参加者に得るものがあれば、活動にも意義があると言ってよかろう。

そういう意味では、非常に今んとこ満足です。人を見ていると面白い。高校生と五十代の男性が恋話をしてるとか、老若男女入り乱れて四苦八苦しながらシーンの稽古をしてるとことか、他では見れない光景ですよ。僕もこの活動をはじめて、地元に知人・友人ができたし、人生の先輩たちとあれこれ話をする機会もできて、実に楽しい。地域交流ってどうやりゃいいの? と頭を悩ませている政治家や地域振興の皆様。演劇は、やっぱいいですよ。

でもいいもん作りたい

その反面、自分は作り手としてはかなり完璧主義者で成果至上主義な性格をしているので、本番一ヶ月前のこの時期、非常なプレッシャーを感じています。何のかんの言ってもお金を頂戴する公演ですし、お金うんぬん以前に、自分は自分が見て満足できない公演を人様の目に触れさせたくない。参加者はアマチュアでもいいが、自分はプロでありたい。

あと一ヶ月でどこまで行けるのか、さっぱり読めません。人間は、ゆるやかに段々と成長するもんではないんです。ある日、ある時、急に何かのきっかけで、ぐんと成長したりする。もちろんそのためには毎日の積み重ねが必要なんだけれど、筋トレ的に成長するものもあれば、コツや閃きでパッと伸びるものもあって、演劇の場合、特に始めたばかりの人たちにとっては、後者がとても重要なのです。

もし万が一、この長たらしい文章を読んでいる出演者がいたら、こんなもの読まんでいいから台本を読めと声を大にして言いたい。まだ覚束ない台詞があるなら、まだ自分の血肉になっていない台詞があるなら当然読め。もう完璧、自分の生年月日と同じくらいスラスラ言えるってくらいの人なら、一度演じることを忘れて、お茶でも飲みながらじっくりゆっくり台本を読め。必ず何か発見があります。職業俳優でも、本番前、じっくり腰を落ち着けて、台本を精読するそうです。

「やりゃあできる」という発想

「やればできる」とか、そんな簡単に行かないよ、と、人生の苦味を知った人々は口にしますが、そういう言葉にほだされてはいけないと思います。負け犬になります。「あの人すげーなぁ」という人は大抵、「自分にはやりゃあできるはずだ」と根拠のない自信を持って物事に立ち向かっているものです。で、十回戦って五・六回は負けてるけど、四・五回は勝ちます。五・六回は負けるんだけどさ。

CoTiKの最大の収穫は、「やりゃあできる」ってとこだと思うのです。柏でコミュニティシアターとか絶対無理、みたいに、割といろんな人が思っていたと思います。人が集まらない、とか、場所がない、とか、柏という街の気質が悪い、とか、客が集まらない、とか。

CoTiKもまだ公演打ってないんでこの後ずっこける可能性は大いにありますが、俺は「やりゃあできる」を証明したい。柏でもコミュニティシアターはやれるし、芝居やったことない人でも、人の胸を打つ芝居はできる、と。

結局、人の心を打つのは何なのか

今日、五十代後半の参加者の方と話していたら、三幕中盤、マキューシオが死ぬシーンで、その方は思わず見ていてぐっと来た、と言っていました。台本は読んでいるし、何が起こるか知っているはずなのに、でもぐっと来た、と。

結局、演劇において人の心を打つのは何なのか、と言うと、「人間がそこにいる、そこでやってる」という事実です。英語の論文とかでは presence とか言ったりしますが、シンプルに言えば、役者。役者がよければ幼稚園児が書いた脚本でも名作になりうるし、役者が悪ければシェイクスピアも駄作になる。おっと、今回はシェイクスピアをやっているんだった。

演出と役者の関係において、一番理想的だなぁと思うのは、役者が演出を出し抜くことだと思っています。出し抜く、と言うと言葉が悪いけれど、演出の意図や脚本のよさをしっかり理解した上で、そのイメージを超えるものを提示すること。これができるのが本当の意味でのいい役者です。結局のところ、演出も脚本も机上の空論です。そいつを自分の身体と心で表現する役者には、そういう机上の空論をぶっ飛ばす可能性があります。最終的には、役者は演出家よりもその役のことをわかっていないといけない。

そういう意味では、CoTiKもまだまだこれから。台詞を覚えた、段取りも決まった、ダンスも殺陣もうまくやれた。それでは生気のない人形が舞台上に操られているだけ。演劇で本当に難しいのは、そこから。そこに、生身の感情と人格、反応を出せるかどうか。ここが一番難しくて、一番面白いところです。

是非ね、出演者の皆様には、僕を感動させて欲しいです。「悪かった!」とか「負けた!」と言わせて欲しいです。自分は年間100本は芝居を観ていると思いますから、過去1000本は観たと思います。読んだ戯曲も100や200ではきかないでしょう。でも、負け戦ではない。僕がイギリスにいたとき、一番感動した作品の一つは、その地域のコミュニティ・シアターで上演されていたものでした。CoTiKでの上演が、俺の心をガクガクブルブル感動させる、その可能性は大いにあるし、自分が観たいのはそういうものです。まずは演出家を感動させないと、お客さんを感動させるのはまず無理です。

舞台の神さま

キャリアや経験、年月ではなく、奇跡が起こることが演劇ではしばしばあります。僕はそいつを舞台の神さまと呼んでいて、劇場に入ると必ず舞台センターを陣取って正座し、土下座するように祈りを捧げます。過去10年間、ずっとやっていることです。あと、ギリシャでは舞台の神さまはお酒の神さまでもあったので、お酒もたくさん飲みます(笑)。これも過去10年間、いや、5年間ずっとやっていることです。

今回のCoTiKにも、舞台の神さまが登場するといいな。

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